俺が生きる意味 6 新世界のレゾンデートル

「俺が生きる意味」シリーズの最終巻。

ある意味、「俺が」という部分では良いのかもしれませんが、ここまでが面白いと思っていた人は、読まないで想像するだけで済まして良いかも。

今回はネタバレします。

一言で言うと、「やりやがった」という感じですね。清涼院流水の流水大説でよくある、最後で全部台無しにするパターン。

これまでも、何度もありましたが、主人公がそれまでの葛藤や決意などを突然放り投げて、帝かりものために全部を見殺しに。

しかし、それも結局守りきれずに死なせてしまい、今度は全部ぶっ壊して世界を作り直そうとするものの、精神だけ残っているみんなに色々言われて翻意して、やっぱやーめた、みたいな感じ。

「俺が」というタイトルからするとその通りで、主人公の斗和はとてもエゴが強く、感情に任せて決断して失敗し、その結果人が死ぬとうじうじしだしてより悪い選択をしていく、という「俺」ありきで、実は周囲の事なんてどうでも良いタイプです。

なんとなくですが、主人公はどうも好感の持てない嫌な奴のように描かれる部分があったので、作者の人は意図的に昨今多い「俺つえー」のような「俺」が強く主張される作品への嫌がらせとして書いたのではないか、という気もします。

この巻までの、謎として伏せられていた部分も、怪しいカルト宗教やらユングやら量子論やら未来の科学文明と情報生命体やら、1990~2000年代あたりで盛んに用いられていたものをこれでもか、とぶちこんで「それらのお陰」で成り立っているとし、何でもあり状態にしています。

更に、最後は「主人公だから負けない」というメタっぽい要素も突っ込み、それまでの苦戦もどこへやら、一気に主人公を無敵の存在に仕立て上げます。

これは、それまで殺人鬼の山田に対抗するため、身体を鍛えたり、技術を身に着けたり、装備を揃えるなどの努力では成し遂げられなかった、他を圧倒する力の入手をあえてこういう形で行わせている事から、明らかに作者は斗和への悪意があると見て良いと思います。

これって、作中の世界の神からは愛されているが、その実その世界を創造した神=作者からは憎悪されている、という更にメタっぽい話なのかもしれません。

ただ、意図的にこうした嫌がらせをしているのが見て取れる分、読み終わってから、なんだ嫌がらせか、としか思わないレベルで済んでいます。ナチュラルにこれが面白いとしてやっていると思われる、清涼院流水のそれに比べると、まあいいんじゃないの、くらいで流せますね。

嫌がらせとしても、エヴァンゲリオンの庵野秀明ほど徹底もしていないので、腹も立ちませんし。

とりあえず、1~2巻までは面白いので、これから読もうという方はそこまででやめといて、続きは読まない方が良いと思います。

何年かすると、作品の善し悪しではなく、書いたような部分で取り上げられる事があるかもしれないので、ライトノベルを研究しているような方は読んでおくと良いかもしれません。


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