ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qと機動戦士ガンダムUC

一ヶ月くらい何も書いていなかったので、どうでも良い個人的な感想を。

ネタバレを含むので、詳細は続きで。

詳しい考察や解説などは他にされているサイトやブログも多いですし、エヴァンゲリオンは詳しくないので、ぱっと見た感じの大雑把な感想などを。

序、破となんとなく良い感じのハートフルな展開が、Qであんな感じというのがいかにもっぽいなぁ、という所です。

Qでもの凄く顕著に出ましたが、エヴァンゲリオンは役割としての成熟した大人が出てこないと思います。具体的には、誰も碇シンジくんに対して、説明責任を果たす大人がいないんですね。

何故、どうしてそうしないといけないのか。どういう理由でそうしているのか。君がそれをするべき理由や背景、私がそれをしている理由や経緯、あるいは信念などを大人であるキャラクターがほぼ誰も説明しないし、語らない、というのがシリーズを通して行われている事です。

Qでは説明がありましたが、口火を切ったのは大人ではなく友人である渚カヲルだというのもポイントだと思います。その後、重い腰を上げて冬月コウゾウが語る……という流れですね。渚カヲルが語る契機が無ければ、それすらあったかも定かではありません。

それが物語としての狙いではあるのかもしれませんが、碇ゲンドウはシリーズを通して一貫して説明を拒みますし、Qの序盤に葛城ミサトや赤木リツコをはじめ誰も何も碇シンジに説明しないまま、ニア・サードインパクトを起こした罪人として忌み嫌い続けます。

何も説明しないまま、破の後で眠っている間にどういう事があったのかを知らせないまま、そのせいで起きた事を責め続けるような態度を取るのは、当人からすると理不尽としか言いようがないでしょう。

謎を明かすのをなるべく遅延させて盛り上げるためだとしても、あの仕打ちは異常であり、それでいてそれぞれの大人が己が望む行動を取らない碇シンジに失望したり、罵倒したりするという、碇シンジへの悪意に充ち満ちた展開になっています。

しかも、旧作のように終始ダウナー気味だったのとは違い、序と破で自らの意志で、行動をし始めた所に、全てへし折るようなこの展開なので、もはや悪意しか無い、と言っても過言ではないかもしれません。

他に成人勢に共通している事といえば、それぞれが自分の欲求を追求し、誰かの為に何かをする、といった事が少ないという点も挙げられます。

碇ゲンドウが旧作通りの目的を持っているのかどうか次第ではありますが、主に各自の妄念であったり執念であったり、私怨であったりが目的となっており、その達成が原動力になっているように見えます。

よって、碇シンジにかけられる言葉も、同調や共感の要求であったり、意図通り動くようにするための恫喝であったりが多くなっていると思います。

極端な事を言ってしまうと、理性より欲求を優先する獣的な存在が多く、その辺と絡めて、主人公ら少年少女が理性や知性を得て、獣から人間になっていく……みたいな話になる余地もあったりするかもしれません。

そういえば、リリスの所に降下するシーンでは、沢山のなり損ないみたいなのが壁を作っていたりしたので、その辺もこの物語には大人になり損なった人間しかいない、みたいな暗喩なのかもしれません。

次でどういう展開になるか、そこに救いがあるのかもしれませんが、あんまり前向きな要素が無かったので、何となくまた陰鬱な感じの終わり方になるのでは……という気がしてなりませんね。

似たような要素の話だと、ちょっと前に感想を書いた機動戦士ガンダムUCがあります。

こちらも、主人公の少年であるバナージが、ラプラスの箱というよく分からない謎の存在のために、ユニコーンガンダムに乗って戦う事を強いられる物語です。

最初はやっぱり何も理由が分からない状態で戦わされたり、殺し合いにも繋がる戦う事に意義が見いだせないでいます。

しかし、こちらはラプラスの箱の謎をすぐに語れる大人は出て来ませんが、それぞれが何故自分が戦うのか、その背景や戦う事によって起きてしまった事=人死になどをどう捉えているのか、などを語ります。

人ごとに異なる立場や背景、経緯とこの先に何を望むのかを知って、バナージは自分なりの理由を見いだして、戦っていきます。

こちらは、きちんと大人がみんな大人としての役割を果たしているんですね。途中まで情けなかったオットー艦長でさえ、最後にはあのような心を打つ演説ができるまでに、大人としての役割を担っていきます。

改めて対比すると、ガンダムUCは少年が成長するために大人が役割を果たして背中を押していく、ある意味古い形の物語で、エヴァンゲリオンの方は大人が一切役割を果たさず、理不尽な障害として立ちはだかるだけで、少年たちが自力で足掻いてそれを越えなければならない中間の年代の物語なのかもしれません。

今多い新しい形(主流になっている形)だと、更に大人がほとんど出てこないで、少年少女たちが全て優れた能力で解決してしまう、俺スゲーっぽい感じの話になると思います。

Qの次で、その中間の年代の物語の形から、これからの流れになる新しい形を作るのか、あるいは総括的にそのまま終わらせてしまうのか、少し気になる所ではあります。

また、旧劇場版みたいに嫌がらせで終わるかもしれませんが……。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です